問い①:あなたは今、“誰の人生”を生きてる?
気づかないうちに、僕たちは誰かの期待の中で生きてる。
「こうあるべき」 「こうしなきゃいけない」
そういう言葉が無意識に根を張って、 自分の人生のハンドルを、他人に渡してしまってることがある。
学校の先生の言葉かもしれない。 親の価値観かもしれない。 SNSでバズってる“正解”かもしれない。
でも、その選択は本当に、 「自分の心が望んでること」だった?
僕は、レールから外れて島に来た時にやっとわかった。 「自分の人生を生きてるつもりで、ずっと誰かの人生をなぞってただけだった」って。
たった今、この瞬間。 あなたが進んでいるその道は―― “自分”が選んだ道? それとも“誰か”が描いた道?
問い②:“やらなきゃ”で動いてない?
朝起きて、仕事に行って、帰って、寝る。 気づけば、毎日“こなすこと”に追われてる。
「やらなきゃいけないこと」が山積みで、 本当は何をしたいのかなんて、考える余裕もない。
でも―― その“やらなきゃ”って、本当に必要? それ、誰が決めたルール?
僕もずっと、“働かなきゃ”って思ってた。 生活のために、誰かに言われたことをこなして、 給料をもらって、なんとか生きていく。
でも気づいたんだ。 それは「生きてる」んじゃなくて、「こなしてる」だけだったって。
本当に人生を動かす時って、 「やらなきゃ」じゃなく、 「やりたいから」動いてる。
もし、最近“心が動いた瞬間”を思い出せないなら―― ちょっとだけ立ち止まって、こう問いかけてみてほしい。
「今日、自分の“やりたい”で動けてる?」
問い③:今いる場所は、“自分で選んだ場所”?
人生って、選択の連続だ。
でも実際には、「なんとなく」で流されて今の場所にいる人がほとんどなんじゃないかと思う。
就職した会社、今いる街、毎日会う人―― それって本当に、自分で「ここがいい」って選んだ場所?
それとも、気づいたらそこにいて、 「まぁ、こんなもんか」って受け入れたまま過ごしてる?
僕は石垣島に来た時、正直“軽いノリ”だった。 「南国で働けてラッキーじゃん」って。
でも、その“なんとなく”すら、自分で選んだことだった。 だから後からどんなにキツくても、 「ここにいるのは俺の意志だ」って思えた。
場所って、環境って、 思ってる以上に自分の感情や未来を左右する。
だからこそ問いたい。
「今、あなたがいる場所は――自分の意志で選んだ場所ですか?」
問い④:「正解」って誰が決めた?
「こっちの方が正しい」 「それはちょっと非常識かも」 「そんなのうまくいくわけない」
僕らは気づかないうちに、“正解っぽいもの”に囲まれて生きてる。
でも、その「正解」って誰が決めた?
親?先生?世間? それとも、昔の自分がなんとなく信じてきたルール?
僕は大学を辞めた時、 「もったいない」「もったいない」っていろんな人に言われた。
でも、俺の中ではもう答えは出てた。 “会社員っていう生き方に違和感があった”それだけで十分だった。
正解なんて、あとから結果論で語られるものだし、 そもそも誰かの正解が、自分の幸せとは限らない。
あなたが今信じてる“正解”って―― 本当に、自分で選んだ価値観? それとも、どこかで刷り込まれた「常識」?
“自分の人生の答え”は、自分で創っていい。
問い⑤:最後に、“人生、楽しめてる?”
ここまで、いろんな問いを投げてきたけど―― 最後はすごくシンプルに、たった一つのことを聞かせてほしい。
今、人生、楽しめてる?
この問いに、すぐ「YES」って答えられる人はきっと少ない。 でも逆に言えば、その答えが“NO”だったら、変えていい。
それは、「間違ってる」って意味じゃなくて、 「そろそろ次のフェーズに進む時が来てる」ってだけ。
僕も最初は逃げた。 何も考えずに、島に来た。 でも、逃げた先で人生が動き出した。
楽しいって、「ラク」じゃない。 “今ここ”を自分の意志で味わえてるかどうか。
もし、ここまでの問いに何かひとつでも引っかかったなら―― あなたの人生も、きっと動き出す。
ラストメッセージ
人生を遊びに変えるって、大げさなことじゃない。 たったひとつ、“自分に正直な選択”をするだけで、景色が変わり始める。
今日から、遊ぶように生きよう。 それが、ナビトとNovaからの提案だ。
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